2014年01月17日
1995.1.17
阪神・淡路大震災から19年・・・
19年前NUMAは当時26歳、東京都品川区荏原と言うところにあった「ヤシマ」と言う、設計事務所兼内装工事会社に勤務していた・・・
当時すでに結婚していた事もあり、つくばから品川まで約2時間半の道のりを毎日満員電車を乗り継いで通勤していた。
当日も何気ない一日を迎えるはずの朝を過ごし、普通に朝ご飯を食べ、いつものようにテレビがついていた・・・
しかし、サラリーマンの朝は可也の忙しさで、テレビのその内容を全く気にせず、音が出ている箱若しくは時間を見る程度にしか思っていなかった。
先にも述べたように、2時間半通勤でかかるという事は普通に朝6時過ぎには家を出なければならない・・・
と言う事は、その時点で朝ついていたテレビにはそのニュースは速報で流れていたはずだ。
しかし、それには気付かなかった・・・
それが間違いだった・・・
9時前に会社に到着すると、会社中が騒ぎになっている。
それもそのはずだった。
神戸で震度7というドデカイ地震があったのだ・・・
「ヤシマ」は何年か前に、大阪梅田阪急デパートのいくつかの化粧品店舗を請け負っていた。
その被害状況を確認し、復旧するための現地視察を入社3年目のNUMAが命ぜられた・・・
命ぜられたとは言っても、その日は着の身着のまま大阪へ行けというもの
現地の状況もわからないまま、とにかく新幹線の切符を確保!
という事でJR五反田駅の「みどりの窓口」に向かい梅田までの切符を購入しようとしたところ、
駅員さんから言われたのが「名古屋」までしか新幹線は動いていない!という事。
それでも仕方がないので、一応名古屋までの切符を購入し、新幹線に乗り込んだ。
名古屋に近づくにつれ、新幹線のアナウンスで「京都」まで行けるという事で、京都で下車。。。
京都から梅田なんて行った事もないが、なんとか行かなければ・・・
と奮い立たせ地下鉄を乗り継いでやっとの思いで「梅田」に到着
何時間かかったかわからないが、夜になっていた事は覚えている。
とにかく宿探しだ!と思い駅に直結していた「梅田阪急ホテル」現「大阪新阪急ホテル」11階のシングルルームを確保・・・
宿は確保できたで、次は着の身着のまま梅田に来たので、着替えを購入しようと近くのコンビニへ・・・
コンビニの店内には、な~んにもない!!!
本当に何にもない。空っぽ!
目と鼻の先で起きている神戸に皆物資として待っていったという事。。。
まぁ一日くらい着替えなくてもいいと覚悟を決め、腹ごしらえを!
直ぐ近くに、早い・安い・美味いの「吉野家」が・・・
店内入ると大勢の人が大量に注文をしている。その数は20とか、30とか。
皆、神戸へ持っていくとのこと・・・
そうなると勿論のことだが、NUMAに回ってくるまでにかなりの時間がかかる。
でも、なんか自然と涙が出てきた。
コンビニ・吉野家それ以外の物販店も勿論そうであったと思うが、梅田から神戸へ!!!
皆が神戸を心配している。
助けようと頑張っていた。
心が動かされた・・・
結局1時間以上待って牛丼一杯をありがたく頂戴し、
その後ホテルで休んで明日の視察に備えようとベットに入る前に窓の外に目をやると、
神戸の空が赤く染まっていた・・・
その後、寝ていると深夜にドデカイ余震が2度3度と繰り返してきた。
11階の部屋では揺れが半端じゃなかった。
このまま人生が終わるのかと思うほどの恐怖を味わった。
その後は余震もなく少しの間だけ寝る事が出来たが、気付いたら朝だった。
朝ごはんも食べずに梅田阪急デパートに到着すると、被害の大きさに驚いた!
水道管が破損し、至る所で水が噴き出している。
壁には亀裂が入り、大小のコンクリート片があちこちに落ちている。
現状を写真に収め、今後の復旧に必要な状況の把握を終え、明るいうちに東京に戻ろうとデパートを後にすると、
駅周辺には神戸から辿り着いたであろう一目で震災に合った人とわかる人達が着の身着のまま疲れきった顔でベンチや石畳に座っている。
この状況は、テレビなどでも報道されたと思うが、現地で実際に見るのでは大きく違う・・・
本当に悲惨な状況であった事は今でも目に焼き付いている。
だからではないが、1995・1・17は忘れてはならない。
我々関東に住んでいる者には想像もできないほどの被害を受けた方々に
少しでいいから手を合わせてみては如何でしょうか・・・
19年前NUMAは当時26歳、東京都品川区荏原と言うところにあった「ヤシマ」と言う、設計事務所兼内装工事会社に勤務していた・・・
当時すでに結婚していた事もあり、つくばから品川まで約2時間半の道のりを毎日満員電車を乗り継いで通勤していた。
当日も何気ない一日を迎えるはずの朝を過ごし、普通に朝ご飯を食べ、いつものようにテレビがついていた・・・
しかし、サラリーマンの朝は可也の忙しさで、テレビのその内容を全く気にせず、音が出ている箱若しくは時間を見る程度にしか思っていなかった。
先にも述べたように、2時間半通勤でかかるという事は普通に朝6時過ぎには家を出なければならない・・・
と言う事は、その時点で朝ついていたテレビにはそのニュースは速報で流れていたはずだ。
しかし、それには気付かなかった・・・
それが間違いだった・・・
9時前に会社に到着すると、会社中が騒ぎになっている。
それもそのはずだった。
神戸で震度7というドデカイ地震があったのだ・・・
「ヤシマ」は何年か前に、大阪梅田阪急デパートのいくつかの化粧品店舗を請け負っていた。
その被害状況を確認し、復旧するための現地視察を入社3年目のNUMAが命ぜられた・・・
命ぜられたとは言っても、その日は着の身着のまま大阪へ行けというもの
現地の状況もわからないまま、とにかく新幹線の切符を確保!
という事でJR五反田駅の「みどりの窓口」に向かい梅田までの切符を購入しようとしたところ、
駅員さんから言われたのが「名古屋」までしか新幹線は動いていない!という事。
それでも仕方がないので、一応名古屋までの切符を購入し、新幹線に乗り込んだ。
名古屋に近づくにつれ、新幹線のアナウンスで「京都」まで行けるという事で、京都で下車。。。
京都から梅田なんて行った事もないが、なんとか行かなければ・・・
と奮い立たせ地下鉄を乗り継いでやっとの思いで「梅田」に到着
何時間かかったかわからないが、夜になっていた事は覚えている。
とにかく宿探しだ!と思い駅に直結していた「梅田阪急ホテル」現「大阪新阪急ホテル」11階のシングルルームを確保・・・
宿は確保できたで、次は着の身着のまま梅田に来たので、着替えを購入しようと近くのコンビニへ・・・
コンビニの店内には、な~んにもない!!!
本当に何にもない。空っぽ!
目と鼻の先で起きている神戸に皆物資として待っていったという事。。。
まぁ一日くらい着替えなくてもいいと覚悟を決め、腹ごしらえを!
直ぐ近くに、早い・安い・美味いの「吉野家」が・・・
店内入ると大勢の人が大量に注文をしている。その数は20とか、30とか。
皆、神戸へ持っていくとのこと・・・
そうなると勿論のことだが、NUMAに回ってくるまでにかなりの時間がかかる。
でも、なんか自然と涙が出てきた。
コンビニ・吉野家それ以外の物販店も勿論そうであったと思うが、梅田から神戸へ!!!
皆が神戸を心配している。
助けようと頑張っていた。
心が動かされた・・・
結局1時間以上待って牛丼一杯をありがたく頂戴し、
その後ホテルで休んで明日の視察に備えようとベットに入る前に窓の外に目をやると、
神戸の空が赤く染まっていた・・・
その後、寝ていると深夜にドデカイ余震が2度3度と繰り返してきた。
11階の部屋では揺れが半端じゃなかった。
このまま人生が終わるのかと思うほどの恐怖を味わった。
その後は余震もなく少しの間だけ寝る事が出来たが、気付いたら朝だった。
朝ごはんも食べずに梅田阪急デパートに到着すると、被害の大きさに驚いた!
水道管が破損し、至る所で水が噴き出している。
壁には亀裂が入り、大小のコンクリート片があちこちに落ちている。
現状を写真に収め、今後の復旧に必要な状況の把握を終え、明るいうちに東京に戻ろうとデパートを後にすると、
駅周辺には神戸から辿り着いたであろう一目で震災に合った人とわかる人達が着の身着のまま疲れきった顔でベンチや石畳に座っている。
この状況は、テレビなどでも報道されたと思うが、現地で実際に見るのでは大きく違う・・・
本当に悲惨な状況であった事は今でも目に焼き付いている。
だからではないが、1995・1・17は忘れてはならない。
我々関東に住んでいる者には想像もできないほどの被害を受けた方々に
少しでいいから手を合わせてみては如何でしょうか・・・
Posted by produce by TIB at 08:00│Comments(0)
│Numatchy(企業管理職)